2013年11月17日日曜日

稲荷山古墳(埼玉県)

稲荷山古墳.wmv  



公開日: 2011/05/14
稲荷山古墳と金錯銘鉄剣
埼玉県行田市のさきたま古墳群の一つから、この鉄剣が発掘されました。さらに、この表­裏に金象嵌の文字があることが判明したのです。

埼玉県立さきたま史跡の博物館 

http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/?page_id=69

 

当館の象徴である国宝金錯銘鉄剣(こくほうきんさくめいてっけん)は、5世紀末の古代国家成立のなぞを解くための超一級資料です。
   100年に一度の大発見と言われた鉄剣は実物を見ていただくために、保管と同時に展示も可能な鉄の酸化を防ぐための特別なケースの中にかざられ、館内の国宝展示室でご覧いただけます。
   1500年前の王がなにを伝えたかったのか、我々に身近な漢字で刻まれた115の黄金の文字をたどることにより、読み解くことができます。
 
   その他にも、発掘によって稲荷山古墳の埋葬施設から出土したヒスイの勾玉や鏡などの副葬品も、すべて一括で国宝に指定されています。これらも国宝展示室で見ることができます。  
 
  
国宝 ヒスイ勾玉と銀のイヤリング
 
 
国宝 画文帯環状乳神獣鏡 
 
国宝 帯金具
 
国宝展示室ではその他にも将軍山古墳から出土した、全国でもまだ2例しか見つかっていない馬につける鉄のカブトである馬冑(ばちゅう)、なぞの鉄器と言われ、後に馬の鞍(くら)につける旗ざおを装着するための金具であることが分かった蛇行状鉄器(だこうじょうてっき)など、埼玉古墳群の各古墳や八幡山古墳などの周辺の古墳から出土しためずらしい出土品も見学できます。
 
馬 冑
 
 
蛇行状鉄器
 
鞍金具
 
 



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稲荷山古墳 (埼玉県)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3_(%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C)

稲荷山古墳(いなりやまこふん)は、埼玉県行田市埼玉古墳群内にある古墳。同名の古墳は各地にあるため、埼玉稲荷山古墳と呼ばれることもある。

所在地埼玉県行田市埼玉
形状前方後円墳
規模全長120m、高さ11.7m
築造年代5世紀後半
出土品金錯銘鉄剣、画文帯神獣鏡、勾玉など(一括して国宝に指定)
史跡指定昭和13年(1938年)国指定

概要
埼玉県第2位の規模の大型前方後円墳である。造営年代は、古墳時代後期の5世紀後半と考えられている。埼玉古墳群中では最初に築造された。
稲荷山古墳は大仙陵古墳と墳形が類似していることが指摘されている。大仙陵古墳を4分の1に縮小すると稲荷山古墳の形に近くなる。また埼玉古墳群の二子山古墳鉄砲山古墳も大きさは異なるものの稲荷山古墳と同じ墳形をしており、やはり大仙陵古墳をモデルとした墳形と見られている。埼玉古墳群以外に大仙陵古墳を縮小した形で造営された古墳としては、岡山県両宮山古墳が挙げられる。

規模・形状
墳丘長120メートル
後円部径62メートル・高さ11.7メートル
前方部幅74メートル・高さ10.7メートル
後円部西側の裾部に(左くびれ部分に)は造り出しがある。
前方部長軸は富士山に向いている。

墳丘は二段に築成されており、葺石が使用された形跡はない。方形をした二重の周濠を持ち、濠の深さは築造当時の地表面から約1.8メートルと推定されている。周濠は通常は空で、水位が上がったときに水が溜まったものと考えられている。
後円部の円頂には埋葬施設の復元模型があり、階段で登れば見ることが出来る。ちなみに、埼玉古墳群内の大型古墳で登ることができるのは、丸墓山古墳とこの稲荷山古墳である。
前方部分は、1937年(昭和12年)に周辺の沼地の干拓工事の際に埋め立て用の土として取り崩された。その後1968年(昭和43年)に埋葬施設の発掘調査、1973年(昭和48年)には周堀の調査が行われ、1976年(昭和51年)に内堀の一部が復元された。しかしこの状態では古墳の保存状態が悪く、見学者には墳丘の形などについて誤解を与える可能性があったが、2003年(平成15年)の復元工事でほぼ修復された。
もともと墳頂部に稲荷社が祀られていたのでこの名があるが、水田中にあったので土地の人は「田山」とも呼んでいた。
晴れた日には100km先の富士山を墳頂部から真正面に眺めることができる。

鉄剣
1968年の発掘調査において金錯銘鉄剣(稲荷山鉄剣)が後円部分から発掘される。1978年、この鉄剣に115文字の金象嵌の銘文が表されていることが判明した。1983年、他の出土品とともに「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」として国宝に指定される[1] 鉄剣や銘文の詳細は、鉄剣・鉄刀銘文金錯銘鉄剣参照。

副葬品
埋葬施設は、礫槨(れきかく・第一主体部)と粘土槨(ねんどかく・第二主体部)の二つがある。
礫槨からは、金錯銘鉄剣のほか、画文帯神獣鏡1面、勾玉(まがたま)1箇、銀環2箇、金銅製帯金具1条分、鉄剣1口、鉄刀5口、鉄矛2口、挂甲小札(けいこうこざね)一括、馬具類一括、鉄鏃一括などが出土した。
粘土槨は、盗掘されていたが、鉄刀、挂甲、馬具などの断片が検出された。
出土品一括は「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」として、1981年に重要文化財、1983年に国宝に指定された。以下は国宝指定物件の明細である。出土品の名称・員数は国宝指定時の官報告示(昭和58年6月6日文部省告示第81号)に基づく。[2]

 
 


武蔵埼玉稲荷山古墳出土品(国宝)
金錯銘鉄剣 辛亥年七月在銘
神獣鏡 1面
硬玉勾玉 1箇
銀環 2箇
金銅帯金具 1条分
刀剣類 刀身(残欠共)5口
剣身 1口
矛身(内一口石突付) 2口

鉄鏃(残欠共) 一括
挂甲小札(残欠共) 一括
馬具類 鞍金具残欠 1具分
壺鐙残欠 1対分
轡 1具
辻金具残欠 61箇
鈴杏葉 3箇
銅環鈴 1箇

工具類 鉄斧 2箇
鉄鉗 2箇
鉄鑷子 1本
鉄鉇(金扁に「施」の旁) 1本

刀子(残欠共) 4口
砥石 1箇

(以上第一主体部出土)
刀剣類 刀身残欠 2口
剣身残欠 2口

鉄鏃(残欠共) 一括
挂甲小札(残欠共) 一括
馬具類残欠 一括
刀子残欠 3口
鉄鎌 1箇

(以上第二主体部出土)

その他の出土品
眉庇付冑(まびさしつきかぶと)を着けた人物埴輪、鈴鏡を付けた巫女埴輪などが出土している。

被葬者
被葬者ヲワケは、豊富な副葬品をもって葬られており、ヤマト王権に関係の深い大首長、またはその一族の有力者であった可能性が高いとみることができる。
ヲワケの出身をどのように考えることができるかで各種の説があるが、大きく三つの説に分けることができる。
  1. ヲワケを畿内ヤマト王権の有力首長とし、礫槨被葬者はその部下で、この鉄剣を下賜されたとする説。オオヒコが阿倍臣・膳臣の祖であることから両氏の内の一人とみる。
  2. ヤマト王権の有力者であるが、東国に派遣されて礫槨の被葬者になったとする説。
  3. ヲワケをヤマト政権に連合していた東国の首長とし、礫槨の被葬者とする説。
以上三つの説は、いずれも決定的な根拠は無い。
王賜銘鉄剣によって、5世紀中葉期の関東の小首長が大王(ヤマト王権)のもとに、武人として奉仕していたことが分かっている。 そこで第三の説に立つと、ヲワケも宮廷に出仕してその力量を認められて「杖刀人首」の地位を得、自身の出自の由緒を誇示しようとして八代の系譜を造作したと考えられる。銘文の末に「吾が奉事の根源を記す也」と特記されており、ヲワケの絶頂期にこの鉄剣をつくって誇示したとも推測できる。
また第一の説、第二の説では、日本書紀によると、534年、安閑天皇より笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が武蔵国国造を任命され、埼玉郡笠原(現在の鴻巣市笠原)に拠点を持ったことが分かる。何の基盤も無い当地に、突如として畿内に匹敵する中型前方後円墳が出現したこと、鉄剣に彫られたヲワケの父の名のカサヒヨがカサハラとも読めることから、笠原を本拠としたとされる武蔵国国造の墓であるとする説もある。

関連項目
日本の古墳一覧
日本の古墳画像一覧
江田船山古墳 -同じくワカタケル大王(ワカタケルノオオキミ)の銘文がある鉄剣の出土で知られる。
塚原古墳 - 塚原古墳 (志摩市)では稲荷山古墳の同紋鏡が出土。
四道将軍
稲荷山古墳 - その他の稲荷山古墳。

最終更新 2013年8月9日 (金)
 
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http://www.jsrtkinki.jp/bukai/item/5fb1ccd6f9/16.pdf

-埼玉県・熊本県出土金銀象嵌銘刀剣が伝えた時代-

(財)元興寺文化財研究所名誉研究員・評議員
NPO 文化財支援機構理事
増澤文武

1968年埼玉県稲荷山古墳 から出土した約200点の
金属遺物のうち, 1978年X線撮影により1振の鉄剣
に金象嵌の115文字が発見され, 西暦471年の年号と,
雄略天皇を意味する文字の存在が明らかになった.
それは解明されなかった5世紀に光をあて, 雄略天
皇の実在を示すものであり, 古事記・日本書紀の検
討材料となり, 古代史, 技術史, 国語学, 国文学,
博物館学など文化財の学際的な研究の出発点となっ
た. 特に考古遺物への科学技術の応用を促すきっか
けともなった. これらの成果から5 世紀, 雄略天皇
の時代を垣間見てみたい.
出土した遺物の中で, 石器や土器は物理的な衝撃な
どを受けなければ, そのほとんどがそのまま, 保存し
ておいても大きな変化はなく, 形状・性質共に保持で
きる. それに対して, 青銅器や鉄製品など金属器は錆
が著しく, 特に後者のほとんどは, 金属鉄を残してお
らず, 錆の塊と化している. さらにこれらの中には,
それ自体が発掘後保管している際に, 粒子や粉末状に,
また鍛鉄の場合には, 割れが入り, 何層かに分離崩壊
するものが多い. これを防ぐ方法が1960年代中頃から
研究されたが, 一般に実施され始めたのは, 1970年代
に入ってからであった. 埼玉県において稲荷山古墳の
発掘は1968年に発掘されたが, それらの遺物は, 埼玉
県立さきたま資料館に展示保管され, 発掘後10年を経
た1978年, 同資料館は, 保存処理を(財) 元興寺文化
財研究所に委託した.
表面の土や異物, 赤錆の除去の最中に1振の鉄剣
(写真1a) に赤錆の奥に三点ほど, 金色の斑点を発
見したことからX線ラジオグラフィを実施した. その
結果, 表裏重なった文字が発見された(写真1b) .
まず, 象嵌と思われるX線透過写真から読みとれた

写真1 国宝稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣(文化庁)
a. 保存処理前の鉄剣(表)
b. X線透過写真(部分)
c. 保存処理・研ぎ出し後の鉄剣(表)
「国(文化庁) 保管」

写真2 破片のX線透過試験による文字と
研ぎ出された獲加多支鹵大王
a. X線透過写真
b. 研ぎ出し後の文字
「国(文化庁) 保管」

『辛亥年七月中記』と『獲加多支鹵大王』の文字は,
前者は古墳時代に絶対年代を与える史料として, 後者
は実在したかどうかが疑問視されていた雄略天皇を意
味する文字として重大な発見であった. 文字数は,
115文字と判断され, そのほとんどに欠落が無く, 読
むことが可能となった(写真1c, 2b, 図1). その
結果, 辛亥年は西暦471年と比定され, 雄略天皇の在
位456~479年と一致し, 雄略天皇の実在が立証され,
ひいては, 日本書紀の信憑性を論ずる史料ともなった.
『辛亥銘鉄剣』の発見は, 上記の動きの中で, 明治
6年(1873) 発掘された熊本県菊水町の江田船山古墳
出土『国宝銀錯銘大刀』 の銀象眼銘の再検討が促が
された .
この銘文は, 刀の棟にあり, 当初から文字の存在が
確認されていたが, 鮮明な写真が公開されたのは,
1927年で, その際, 現在とほぼ同じ状態で75字分の確
認ができた. 多くの研究者がこの文字の解読に当たっ
たが, 4字目をけものへんに腹のつくりをあて, 反正
・・・・・・・・・・・
天皇とし, それが定着していった .
この『辛亥銘鉄剣』の文字の発見に伴い, 江田船山
古墳出土『国宝銀錯銘大刀』のX線ラジオグラフィの
要望が高まり, 実施した結果, 地に馬と花形文の反対
側に鳥と魚の象嵌を発見した. 棟の部分の銀象嵌は,
X線を大刀の幅に沿って照射せねばならず, その場合,
鉄の地金の厚みが厚すぎ, 銀象嵌の文字を画像とする
ことは困難である. そこで, X線照射によって被写体
から生じる二次電子(光電子) から画像を得るエミシ
オグラフィに着目し画像を得た. これらを基礎にして
銘文の検討がなされ, 改めて本刀の保存処理・修理が
なされた.
以上の結果を踏まえて, 両者の刀剣の文字を中心と
して比較検討がここ20年余なされてきている .
まず注目されたのは, 『辛亥年』の西暦471年に『獲
加多支鹵大王』は大泊瀬(オオハツセ) 稚武(ワカタ
ケ) 天皇, すなわち雄略天皇と比定された. この天皇
の在位は456~479年で時期は一致する. これにより,
日本放射線技術学会近畿部会雑誌第12巻2号
2006 年9 月

雄略天皇の実在を疑問視する世界を払拭し定説化され,
ひいては, 日本書紀の雄略記の信憑性への見直しも議
論の対象となった.
一方, 江田船山古墳出土大刀の釈文の4番目の文字
は, 獲とよまれ, 3文字は判読できず, 8文字目を鹵
とし大王に続くとしている. その上で, 未だ精確には
判断できないとしている が, これを獲加多支鹵大王
にあてる のが有力である.
大王の文字については, 辛亥銘鉄剣の文字発見以後,
X線ラジオグラフィで『王賜』の文字が発見された千
葉県市原市稲荷台古墳出土の鉄剣が更に古く5世紀中
葉より少し遡り, 大王が初めて登場するのは, 隅田八
幡神社の鏡で允恭天皇が大王を自称したとされる. さ
らに, 大王の名前の前につく治天下(辛亥銘鉄剣の場
合は佐治天下) は, 古事記・日本書紀・日本霊異記に
しばしば出てくる「天皇の名を美しく飾る言葉」と見
なされ, 漢語の地天下を直訳し, 輸入して利用しただ
けと考えられていた. しかし, 稲荷山古墳出土鉄剣の
文字の発見により, 改めて注目され, 獲加多支鹵大王
(雄略天皇) の時代から用いられるようになった, と
判断された. 治天下大王は, 獲加多支鹵大王の君主号
として作り出された.
金錯銘鉄剣の杖刀人は, 武官で近衛兵を示し, 銀錯
銘大刀の典曹人は, 文官で, 経済・人事担当の役職を
指す中国語である. 国家成立という観点から見ると,
勢力圏がこれらの役職名と出土地から西は, 熊本, 東
は, 埼玉まで及んでいたと考えられる.
また, 中国の文献, 宋書に記述がある倭の五王のひ
とり, 『武』王が雄略天皇とされるが, それとも一致
するものとなり, 大陸・朝鮮半島との関係をより一層
研究する上で画期的な史料となった.
両刀剣の文字は, 文を形成しており, 官職・文物・
技法は, 漢義をもって表し, 文体も中国語であるが,
日本の地名・人名の固有名詞は, 各音を漢音, すなわ
ち漢字で発音を表記している. この例から当時, 文体
や専門的用語は漢文に乗っ取り, 在来の固有名詞につ
いては, 漢字を借りて日本語を表記する, 後の万葉仮
名の初期段階を示し, 国家運営の基本である記録によ
る伝達や継承がなされていることを示す. これは, 国
語学にも画期的な史料を与えるものとなり, 政治的に
も国際的にも謎の5世紀について考え, 多くの事柄を
明らかにする役割を果たし大きな進展が得られた.
このようなX線ラジオグラフィによる画期的な文字
の発見は, 文字そのものの意味する世界のみならず,
同時に多くの自然科学的・技術的な研究をも促した.
その一つは, 象嵌技術に対する調査で, タガネにより
地金に溝の断面がV字またはU字に穿ち, 金線を象嵌
する最も簡単な線象嵌(糸象嵌) によることが判明し
た. その金線の材質分析がなされた. X線写真からタ
ガネの打つ方向, 打ち方が推定でき, 象嵌表面の鉄剣
の長さ方向に平行な擦痕から鉄剣を研いだ方向を掴む
ことが出来た .
さらに後になって, 保管していた位置を確定でいな
い錆の分析の結果, 中国山東省から揚子江沿岸の江南
地方の含銅磁鉄鉱を精錬して作られた地金であり, 大
陸から輸入して国内で鍛冶を行い剣とされたことが推
定できた .
象眼文字を研ぎ出した時点で, 金線の一部の材質分
析が放射化分析ならびに蛍光X線分析でなされ, 金72
~73%で残りは銀との結果から18金に相当するとされ
た . それから20年後, ポータブル蛍光X 線分析装
置が開発され, 115文字全部の分析が行われた. その
結果, 鉄剣上部から表面第1~34文字ならびに裏面第
1~46文字は, 金70%-銀30%, 下部の表面第35~57
文字, 裏面47~58文字は, 金90%-銀10%であること
が判明した .
一部に残っていた鞘の樹種鑑定からヒノキ科と判明
した . 誰も予想しなかった鉄剣のX線ラジオグラフィによ
る文字の発見は, 考古遺物, ひいては文化財への科学
的調査を再認識させる契機となり, 古文書などの歴史
史料のみならず, 金石文へより一層目が注がれるよう
になった. その結果, 一振の鉄剣について, 文化系・
自然科学系の各種の専門分野の研究者により調査検討
が総合的になされた. これを皮切りに明治時代に発見
された大刀をも含め, 5世紀後半を中心としたあらゆ
るジャンルの研究がなされ議論されてきた. 将来に向
けて更に多くの資料と共に最も基礎的な重要な資料と
して評価され, 研究の対象とされて行くことが期待さ
れる.

1) 埼玉県教育委員会『埼玉稲荷山古墳』(1980) 埼
玉県教育委員会
2) 埼玉県教育委員会『埼玉稲荷山古墳辛亥銘鉄剣
修理報告書』(1982) 埼玉県教育委員会
3) 江田船山古墳編集委員会『江田船山古墳』(1980)
熊本県玉名郡菊水町
4) 東京国立博物館編『江田船山古墳出土国宝銀象
嵌銘大刀』(1993) 吉川弘文館
5) 佐伯有清編『古代を考える雄略天皇とその時代』
(1988) 吉川弘文館
6) 平川南編『古代文字の世界』(2000) 大修館書店
7) 岡本健一, 『「日本」誕生のなぞ卑弥呼とワカタ
ケル』(2001) 大日本図書
8) 日吉製鉄史同好会, 新日本製鐵株式会社広報企画
室編『鉄の文化史』148-159 (1984) 東洋経済新報

9) 早川泰弘, 三浦定俊, 青木繁夫, 大森信宏, 今泉
泰之, 国宝稲荷山鉄剣の銘文金線の化学組成, 日本
文化財科学会第20回大会研究発表要旨集, 26-27
(2003)

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